はじめてのドラッガー

「何はともあれドラッガーは読んどけ」という、尊敬する人からのお達しにより、今ごろなのですがP・F・ドラッガーの本を読んでいます。
いま読んでいるのは「はじめて読むドラッガー」シリーズの社会編「amazon:イノベーターの条件」。
まだ40ページしか読んでないのですが、これが自分的に大ヒット。ドッグイヤーがワンワン言いながら読んでます(=読み返したいところのページの角を折りまくってます)。


いまの自分の最大の関心事は、クリス・アンダーソンが提唱した「フリーエコノミー」の行方とその位置づけ。その上で、いままでの米国を中心とした経済至上主義、資本主義って何だったんだろうなぁとか、お金以外に価値を図る指標+目盛りってどういうものだろうなぁとか、そんなものをいろいろ探してます。


そんな自分にヒットしたのがこれ。

ヨーロッパの秩序が、キリスト教を基盤とするがゆえに自由と平等を追求せざるをえないとすれば、新しい秩序は、当然のこととして、それが社会の中心に位置づける領域において自由と平等を追求することになる。(中略)経済的な平等は、それが社会にとってもっとも重要なことではなくなり、新しい領域における自由と平等が新しい秩序のもたらす約束となったとき、初めて可能となる。




・・・・という続きを書き上げて、UPしようとしたときに別のページを間違って開いてしまい、バックアップで復元できたのがここまで。もうやだ。なんでバックアップが30分も前なんだよう。








えーっと、もう1回同じことを書くのが面倒くさいので、言いたかったことをざくっとまとめて書いておく。

・「資本主義」とか「社会主義」とか、みんな「自由と平等」の名のもとに登場した
・でもそれはうまくいかなかった
・古くは「宗教」こそが「自由と平等」をもたらすといってた。でもうまくいかなかった。そうして「「政治」や「経済」が「自由と平等」をもたらす」という考えに移行した後、宗教上の自由と平等が訪れた。
・それは私の理解では、どの宗教を信じても信じなくても自由、どの宗教を信じる人も信じない人も平等、ということ。


・いまは「資本主義」から別の「主義」への移行期。資本主義の限界が見えてきている感じがする。
・その筆頭が、グーグルを筆頭とした、「知」や「情報」のオープン&フリー(自由&無料)化。梅田望夫さんの本によれば、シリコンバレー全体がそれを善として動いている。
・もしくはニコニコ動画のMADに見られるような、「面白いものはみんなで共有化してもっと面白くしちゃおう」的動き。


・どの「主義」もそれ以前の「主義」で解決できなかったもの、実現できなかったものを可能にするという名目で登場し、それゆえに今の「主義」に限界や不満を感じている人には魅力的に映る
・そしてその「主義」はキリスト教圏から出てくる限り、「自由と平等」を大義名分に掲げている可能性が高い
・そしてその「主義」が社会的に受け入れられたとき、経済上の「自由と平等」が訪れる
・そしてその「主義」は、その主義に従わないものを排除する限りにおいて、真の「自由と平等」をもたらすことはない


【自分のすべきこと】
・その「主義」は既存の問題を解決するために登場したことを理解する
・その「主義」がどんなに美しく見えても、完璧ではないことに注意する
・新しい「主義」を評価しつつ、既存の「主義」の良い点も残して現実に落とし込む手法を考える



うーん、なんて愛のないまとめ。ま、いっか。
代わりに愛のある写真を載せておこう。おいらの愛猫。きゃー♪