冬の夜長のひとりがたり

twitterで「おやすみ」と言ってから45分。
眠いけど眠れない、そんな夜を過ごしている。


自分で記事を書いたり、他人の記事を他社の媒体で見たり。
そんなことをしながら、メディアと自分とこれからの未来について思いを馳せる。




私はずっと、いわゆる「マスコミ」が嫌いだった。
今でも自分が「マスコミ」の端っこにいることが不思議だし、怖くもある。


私は東京生まれ(正確に言えば生まれたのは母親の実家がある讃岐)、東京育ちで、23区の中でも「都会」と呼べるような場所でずっと暮らしてきた。
テレビ局が近くにあって、関連の番組制作会社がいくつもあって、地元でテレビのロケがあることは日常茶飯事だった。
テレビのロケ隊が来ると、撮影のために道はふさがれて通れなかったり、通れても「立ち止まらないでください」とか「そこ映っちゃうからどいて」とか言われた。小学生の私にとって、テレビの人たちは遊び場を奪う邪魔者だった。


近所のお店がテレビで紹介されることも多かったし、そうやって紹介された店が一気に客が増えて地元民が入れなくなって、ブームが過ぎ去った後に気がついたら店が潰れて違う飲食店やブティックになっていることも多かった。
「本当にいいお店は、決してテレビでは紹介しないように断ってるんだよ」。そんなことをよく、母親から聞かされた。


小学生のころは、いわゆる「バブル」の時代だった。土地は高騰し、「億ション」と呼ばれる数億円台のマンションのチラシが毎日のように新聞と一緒に届いた。隠れ家にして遊んだ町工場も駄菓子屋も八百屋さんやお肉屋さんが入った小さなモールも、ぜんぶ真新しいマンションに変わった。そこの1階にできた真っ白なレストランやきらきらの洋服やさんは、1年〜3年おきに新しい店に変わった。



時代の中心には「マスコミ」がいて、ブームを作って、そして去っていく。新しいものをもてはやして、いままでの古いものをなぎ倒して。


大人になった今は、必ずしもそうじゃない、とか、別にそれは「マスコミ」のせいだけでもない、とか、そこにはいろいろな理由があったんだろう、とか、いろいろと思うけど、1学年10人になってしまった地元の小学校から昔住んでいた家までの通学路を歩くとき、そこに何一つ同じ景色がないことに淋しさを禁じえない。



だから私は今でも、「新しい」だけのものを無条件にすごいと言えない。
雑誌に載っている「おしゃれ」なレストランを、もてはやすことができない。


そして「マスコミ」の1人として自分が持ちうる力の大きさに、怖さを感じずにはいられない。「マスコミ」な自分に、無邪気になれない。(ネットメディアがマスコミかどうか、と訊かれるとそれも疑問だけど。「マス」ほどの規模はない気がするので)


正直に言えば、ずっと「マスコミ」にいる自分には戸惑ってた。5年いてようやく、ここでこれから生きていくこと、自分で未来をつくっていくことの意味とか自覚とかを、強く考えるようになってる。




そんなときに「メディア・パブ」さんで「メディア職とマーケティング職,就業状況で明暗がくっきり」なんて記事が出てる。米国の状況だけど、なんとなくしっくりくる。

さて、こんな状況下で、メディアでものを書いてめしを食って生きたい人間は、これからどうしましょうかね。