nagaimichikoさんの悩みを解きほぐしてみる:情報は足したほうがいいのか引いたほうがいいのか

あ、いや、悩んでるわけではないのですけどね。
miruさんがまとめてくれた「nagaimichikoさんの悩み」をちゃんと書いてみる編その1。

nagaimichiko: 情報は足したほうが価値が生まれるのか、引いたほうが価値が生まれるのかと弱い頭で考えている http://twitter.com/nagaimichiko/statuses/772846486

これは、記者としてものを書くときの基本姿勢はどう持ったほうがいいのかなぁ、と考えていたもの。
どちらが良くてどちらが悪いというわけではないのだけれど、自分のスタイルとしては後者のほうを重視している。


編集者の仕事は文字通り「集めて編む」こと。たくさんの情報を「集めて」、自分なりの視点で「編む」。伝えたいことが伝わるように焦点を絞るから、焦点がぼけるような情報は排除する。(もったいないっと思いつつ涙をのむこともしばしば。別のところで使うこともある)

もちろん、間引きしすぎると味気ない、さみしい文章になってしまうので、いかに「引く」かが編集者の味付けであり腕の見せ所。



逆に、情報を足すことももちろんある。歴史・背景情報やデータ(市場シェアとか決算数値とか)、第三者による異論、複数の関係者のコメントなんかは、1つの出来事を客観的・複眼的に見るのにすごく効果的だし、それによって理解が深くなる。

ただ、これはあくまでも「伝えたいこと」をサポートするためにあるもので、「伝えたいこと」がそもそもぼやけてたら、余計何だか分からなくなる。



ちなみに、私は記者がニュース記事で自分の意見を書くのは非常に嫌い。ニュース記事の主役はあくまで「出来事」であるべきで、記者の気持ちはそれを編む「視点」に使う程度にとどめておくべきだと思っている(そしてそのときも、その視点が独りよがりになってないか確認すべき)。自分の考えを書きたいなら、自分の名前でコラム記事として、「自分はこう思う」と書くべき。そしたら、読んだ側も「賛成」「反対」が言える。


意見には賛成・反対できるけど、出来事には賛成も反対もできないからね。


あとは明確に自分の意見だと意識しないまま思い込みで書いてたり、「みんなこう思うはず」と突っ走っちゃったりするのも危険。このあたりは常に自分を客観的に見る(=自分に反論をぶつけまくる)ことで回避すべきだと思う。



・・・とここまで書いてきて、「じゃ、情報の『価値』って何なの??」という疑問が湧いてくるのですが、それはまた別のエントリで。




しかし、こう書いてみて気づいたんだけど、私、編集者属性のほうが強いのかな。ずっと記者メインでやってきたから自分は肉食記者だと思ってたんだけどなー。ま、いいや。いいものつくれれば。