昔を振り返る:2003年のこと
4月に翻訳専門の方が入社されて、翻訳記事の担当が減り、それ以降は執筆記事が増えました。いつの間にか書く人になったのはこの頃から。
さて、2003年の思い出深い記事をいくつかピックアップ。
2ちゃんねる管理人の西村さんに、前職でお世話になっていたことからインタビューさせていただいた、私の初インタビュー執筆記事。
質問項目をいくつも用意して、ひたすらメモどおりに聞きまくり、「えーっと、えーっと」と何度言ったかわからない。
そんな私に、にこにこと1つ1つ丁寧に答えてくださった西村さん。
本当にありがとうございました。
個人的には、質問がなくなって、それでも何かもっと訊きたくてひねり出した「今の状況は〜」の質問への答えが、なるほどーという感じでうれしかったです。
夜に取材して、上司と2人で朝まで記事の執筆&ビデオ編集をしていた、記念すべき、初終電逃し記事(笑)
「朝まで会社に泊まりこんで記事書くなんて、なんかマスコミっぽーい」とのんきに思えていたころが懐かしい。。。
当時と今、動画の手軽さは隔世の感がありますね。
・夏の総集編 - 新技術と企業再編で復活する国内電機メーカー
初めての夏休み、ということで前半を振り返った記事。ここからリンク先の記事をたくさん読んでもらおう、という企画だったのですが、わりと素通りされてしまいました。。。(涙)
ただ、書くほうとしては歴史の流れの中に半年の出来事をマッピングすることで頭の中が整理され、非常に勉強になりました。
ちなみにこの記事で私は「デジカメ景気」と称したのですが、世間的には「デジタル景気」が一般的になり、悔しい思いをしたものです。。
・業界地図が変わる?:総務省、携帯電話の番号ポータビリティに関する研究会を開催
もし今までの記者人生で誇れる記事を1本だけ挙げろといわれたら、迷うことなく選ぶのがこの記事。
総務省のサイトで研究会の開催を知って、「これは」と感じて取材したもの。この次の会には報道陣が大勢集まり、ソフトバンク孫社長をはじめとした通信事業者の代表も集まり、「番号ポータビリティ」が世の中の大きなうねりとなりました。
当時は「番号ポータビリティ」なんて誰も意味わかんないよ、と思っていたのですが、大きく報道されたこともあって世間一般に使われる言葉となった事は感慨深いです。
番号ポータビリティが利用されていないという指摘もありますが、本来の目的はキャリアのシェアを変動させることではなく、競争環境を作りだして利用者が不必要に高い通信料金を払わずに済むようにすること。その意味で、一定の役割は果たせたのかな、と思っています。
以下は私が書いたものではないですが、編集をお手伝いさせていただきました。
・「小さい会社こそ、大きなことができる」 ―Movable Type開発者に聞く
今思えば川崎さんにインタビュー&執筆していただいているというのもすごいことだ。。。
確か通訳もなくお話しされていた気がするし(違ってたらごめんなさい)。
当時トラックバックの意味も分からず、編集しながら「すみません教えてくださいー」と言いまくっていた気がします。
勝手も分からない新人編集者に快くお付き合いいただいた川崎さん、皆さん、本当にありがとうございました。