ものを書ける幸せ

「自分の本はいつ出版禁止になるかわからない。
だから、ネットに表現する手段を持っていることが、本当に重要なんだ」


この前会った作家さんに言われて、はっとした。


ものが自由に書けるという、あたりまえの幸せを。






夏に、イスラエルに行った。


2000年以上前に作られた遺跡を見て、
旧約聖書に記された場所を訪ねる。


ガイドさんが言う。
「古文書があり、遺跡発掘を通じてその事実が裏付けられたとき、
 それは伝説ではなく、歴史になる」
と。



それは逆に言えば、
文書がなければ、歴史にはなりえない。
ただ「人類の謎」として、留め置かれるだけだということ。




表現の自由”と言ってしまえば簡単だけど、
守らないと、いけない。
戦わないと、いけない。
大切な、大切な何かを、永久に失わないために。

30代詰んデレ女子とおじさんと

とにかく何か文章は書き続けないとダメだよ!と、
兄貴分に言われたので書いてみる。だらだらと。酔っ払った頭で。


30代女子にとって、おじさんと飲むのはものすごく楽しい。
いや、一般論っぽく言っているが、あくまで個人的な感想である。


おじさんの何がよいかというと、まずちやほやしてくれる。
こっちは30代なのに。女子で自分より若いというだけで。
すでに薹(とう)が立ちまくっているのだが、「それがいい」と言ってくれる。
「かしこい」とか、「世の中/俺の言うことをわかっている」という、大変耳障りのよい言葉に置き換えてくれる。
そして言うのだ、「俺があと10歳若くて独身だったらな」と。



これが30代女子の自尊心をくすぐらずして、何と言おうか。



そして30代女子は思うのである。
「私が悪いんじゃない、理解してくれない周りがダメなのだ。
分かってくれる男子はここにいる。ただ、良い男すぎて周りが放っておかず、先に売れてしまうのだ。ああ、なんて運が悪いんだ」



はい、典型的なこじらせです。





思うに、既婚(子持ち)おじさんは、30代女子にとって“お菓子”みたいなものなのだ。甘くて心地よくて、許されるならずっと一緒にいたい。



でもそれ、ブタの元ですから。




20代ならいいんですよ。不倫だろうが火遊びだろうが、「人生経験」で許される。ちょっとコロコロしてるほうが、ピチピチしてて可愛いしね。
でも30代は、痛いだけです。






でもねー。既婚(子持ち)おじさんは、余裕があって女の子の扱いが上手くて、しゃべりも面白くて女性を尊重してくれて、
ぶっちゃけ居心地が良いんですよね。
こっちも変に相手を男性扱いしていないから、気兼ねなくいろんなことがしゃべれるし。
女友達とはまた違う、心地よさがある。
でもそこに甘えすぎてちゃ、きっといけないんだろうなぁ。



普段は3食きちんと食事をとりつつ、ときどきご褒美にラデュレのマカロンをいただく、ような距離感で、
ちゃんと自分の身の丈で人生を生きつつ、ときどきは年上のおじさまに甘やかしてもらう。
そのくらいの温度感で、30代を生き抜いて生きたいなぁと思ったのでした。

ニコニコ学会(合宿)に行ってきたよ(気を取り直してその1)

とりあえず、当日のタイムスケジュールだけ書いておくよ。


ニコニコ学会って何?って人はこちら
→ http://niconicogakkai.jp/committee-profile

当日の生々しい様子が知りたい人はtogetter
→ http://togetter.com/li/358129

2日目のタイムシフトが見たい人はこちら
→ http://live.nicovideo.jp/watch/lv104847580


<タイムテーブル>
8/19(日)
1-A:「TED⇔ニコニコ学会β」
1-B:「ニコニコデータ部 オープンデータ」
1-C:「もっと自己紹介し合いませんか?」


2-AB:「ニコニコ学会をもっとカオスに」「研究をニコニコで楽しむためには」「人文学を『作って』おもしろく」「文系・理系コラボレーションどうする?」
2-C:「インターネット生放送の未来」「次世代のニコニコ動画


3-A:「社会のジレンマ」「Value-fact distiction」
3-B:「2015年の教育について」「教育オープンエデュケーション」
3-C:「宇宙・データ・Web」「月面調査を面白くするには」


ナイトセッション:「社会的規制をいかに切り抜けるか」
「次の“夜のニコニコ学会”企画」「ニコニコ動画をもっとカオスにするには」


8/20(月)
1-A:「CPS=サイバーフィジカルシステム」
1-B:「研究者→世界平和 どのように?」
1-C:「TED×ニコニコ学会・2」


2-A:「ニコニコ学会第3回について 遠隔とか巻き込む方法とか」
2-B:「研究者とはオレのコト!なヒトに導いてもらいたい子羊たちの集い」
2-C:「ニコニコ学会全国で開催したい」


3-A:「電脳メガネにはあと何が足りない?」
3-B:「野生の研究者でご飯は食べれるか?」
3-C:「クラウドファウンディングでお金を集めてみた〜朝からお金の話をしよう」


4-A:「第3回ニコニコ学会β誰の話を聞きたい?」
4-B:「ニコ動データ、他のソーシャルメディアの使い方〜何を知りたい?どんなデータが欲しい?」
4-C:「ニコニコ学会的音楽イベントを考える」


5-A:「中の人に物申す!」
5-BC:「ABPro(普通じゃないプログラム発表会)×ニコニコ学会β」


大人の社会科見学:JAXA 筑波宇宙センター

ミャンマーについて書いてみる

ミャンマーがメディアに取り上げられることが増えた。
民主化政策により市場開放が進み、「アジア最後のフロンティア」として
経済界から注目を集めているためらしい。
大きなショッピングセンターが出来たり、交通量が増えたりと、
街は大きな発展を遂げているらしいのだけれど、
おだやかで優しいあの国の人たちは、きっと今も変わらずにいるのだろうなぁと、10年前に旅行したときのことを思い出している。
これはただの、思い出話。


2003年、人生初の一人旅。
たしか、テレビで見たミャンマーの遺跡に興味をそそられて、
バックパック片手に旅立った。
たまたま飛行機で隣になった人に「バガンに行くべきだよ!」と言われ、
空港からそのまま、市内のバスセンターに向かう。
空港では問答無用で200ドルを現地通貨に交換させられたりもした。
(2004年に制度廃止)



市内について、日本語で話しかけてきた現地の人に
「バスの切符買いたいんだけど」と言ったら、
「知ってるよ!連れてってあげるよ!!」と言われ、
気づいたらクーラーの効いた部屋で1時間待たされて、
手数料が交通費の3倍くらい乗せられたチケットを購入し。


バス乗り場に行ったら、「中央の席で良ければ乗れるよ」と言われて、
「おっけー♪」といって乗り込んだら観光バスの「補助席」で、
そのままバガンまで夜行で14時間揺られ続け。


バス乗り場になぜかいた3人の日本人(全員一人旅。計男女2人ずつ)と
一緒に旅をすることになり。


朝7時ごろからバガンのホテルを歩き回っては部屋を物色して、
3軒くらいダメ出しをした後に、1泊4ドルの宿に泊まることにし。
※ツインベッド、ホットシャワー、エアコン、テレビ付き。各人1部屋ずつ。


移動は馬車がいいよね!といって、4人で馬車を借りて、遺跡をまわって。
地球の歩き方”に載ってる写真と同じ位置で景色を見たら、
なぜか遺跡の建物が増えてることに爆笑したり。


遺跡から朝焼けが見たかったから、「明日の朝もよろしく!」と言ったのに
朝いくら待っても馬車が来なくて、昼頃に運転手のパパが、
「ごめん、あいつは今日具合が悪かったんだ」と伝えに来て、
4人で「ぜってー寝坊しただろ」と心の中で突っ込んだり。


ホテルの人に“地球の歩き方”に載ってるご飯の写真を見せて、
「このヌードルってこの辺で食べれる?」って聞いたら、その瞬間に
一番下っ端の小僧くんが、そのインスタントヌードルを買いに行かされて、
でもすっごいニコニコ顔で持ってきてくれたり。


レストランで「これ何?」って聞いたら、
「卵と粉を混ぜて伸ばしてあーしてこーして」と
ものすごーく長く説明してくれたので、
きっとすごい料理なんだろう、と思って注文したら、
うすっぺらい煎餅みたいなおつまみが出てきたり。


地平線に沈む夕日が見たくて、遺跡の上で2時間くらい、
ただ時が過ぎるのを待って。
一緒になった欧米人に
「俺キャノンのカメラ持ってるんだ。日本製品って最高だよな!」と
話しかけられて、
何にもしてないのに、妙に日本人であることが誇らしくなったり。


現地の日焼け止め「タナカ」を顔に塗ってもらって、
現地の民族衣装を買って着て、巻きスカートがうまく着れなくて、
歩いてる途中で落ちてきちゃったから、その辺の女子校生軍団を捕まえて、
無理矢理着付けをしてもらったり。


仏像を見に行ったら、金ピカの仏像に赤青緑の電飾が、
「パチンコ屋の新装開店かよ!」ってくらいに煌々と輝いていて、
ありがたいようなありがたくないような微妙な気持ちになったり。


ほかの3人とバガンで別れるときに、私を迎えに来たのが小型トラックで、
荷台に乗せられて運ばれて、売られていく子牛の気持ちがわかったり。


ヤンゴンに戻って、現地で一番有名な寺院に行ったら、
ファミリーとカップルだらけで、
「あー、ここは遊園地感覚で来る場所でもあるのね」と妙に納得し。


屋台でサモサを買ったら、水っぽいカレーをかけられて、
思い切って食べたら、案の定お腹を壊し。


とぼとぼと歩いてたら、気づけば2人の物売り少年がずーっと付いてきて。
言葉はあんまり通じないけど、薬局に連れて行ってくれたり、
スーパーでは私しか入れなくて外で待ちぼうけをくらって、
でもずっと私を待ってて。


ほとんど使わなかった200ドル分を再両替するのに
高級ホテル(っぽいとこ)に連れて行ってくれて。
レートが悪かったから、「こんなんじゃ両替できないからやだ」とか
ぎゃーぎゃー言ってたら、
横のほうにいたドンっぽいおっちゃんが
「嬢ちゃんの言うとおりにしてやんな」(意訳。多分)って言って、
なんとか両替できたり。
あのおっちゃん何だったんだろう。


最後に空港に行くタクシーの中にまで少年たちは乗り込んできて、
余ってたりんごを渡したら、
2人で分け合いながら芯のぎりぎりのところまでかじってて。


でも空港に着いたとき、「君らはどうするの?タクシー代あるの?」って
聞いたら急に真っ青な顔をして。
しょうがないから、彼らが売ってた5枚つづりのポストカードと交換に
残ってたお金をあげて、
それをそのままタクシーの運転手さんに渡させて。
(実際はちょっと足りなかったけど、運転手さんがおまけしてくれた)


でもって後でそのポストカードを見たら、表と裏で印刷がずれてて、
ハガキとしては使えないことが発覚したりして。



一緒になった子が「タイの田舎みたいだ」と言っていたけど、
素朴で、おだやかで、優しくて、
「軍事政権」って言葉が持つイメージとは、まったく違ってた。


初めて行った一人旅が、ミャンマーで良かった。
そう、思わせてくれた旅だった。


そしてまた、夏が来る。




・・・・そんなわけで、明後日からイスラエルに旅行してきます(´∀`*)ノシ 
まぁ、今回はパックツアーだけどね(ちぇっ)。
今回も楽しい旅になるといいなー。